歳時記で見つけた定型句。一読好感を持つも、内容としてはよくある望郷の句。ひらがなに騙されているような気もしつつも、山頭火が詠んでいると、望郷の念も強く感じるのは考え過ぎか。
調べると、昭和7年5月24日の川棚温泉での句。同じ山口県なれど、防府は近くて遠い故郷か。なお、防府市の松田農園には揚句の句碑があるが「はな」は「花」と記されているらしい。
ふるさとはみかんのはなのにほふとき
種田山頭火/『俳句歳時記 第四版増補 夏』(角川ソフィア文庫)
2019年5月22日水曜日
2019年5月15日水曜日
石鹸
石鹸は使えばなくなるものだけど
なくなってしまう瞬間が切なくて
ちいさくなってくると
あたらしい石鹸をおろしてしまう
君は、まだあるのにと言うけれど
ボディーシャンプー派の君だから
なくなる瞬間の哀しみがわからないのよ
あたらしい石鹸にくっつけて
てのひらですくったお湯をそそいで
なじめなじめと、なじめなじめと
人差し指と中指のはらで
なでたりしたりしたけれど
最近は、ちびた小指大の石鹸を
石鹸箱に並べるようになりました
ちいさないびつな石鹸が
ひとつふたつと増えていく
いつか、ちいさな石鹸が輪になって
踊り出したらおもしろいのに
なくなってしまう瞬間が切なくて
ちいさくなってくると
あたらしい石鹸をおろしてしまう
君は、まだあるのにと言うけれど
ボディーシャンプー派の君だから
なくなる瞬間の哀しみがわからないのよ
あたらしい石鹸にくっつけて
てのひらですくったお湯をそそいで
なじめなじめと、なじめなじめと
人差し指と中指のはらで
なでたりしたりしたけれど
最近は、ちびた小指大の石鹸を
石鹸箱に並べるようになりました
ちいさないびつな石鹸が
ひとつふたつと増えていく
いつか、ちいさな石鹸が輪になって
踊り出したらおもしろいのに
2019年5月14日火曜日
初なすび水の中より跳ね上がる 長谷川 櫂
もぎたての茄子はつややかに張りがあって、洗うべく水桶に沈めても、中につまった空気がまさっているのか、スポンと飛び跳ねる。なにがあの張りをつくるか知らないが、包丁を入れて、焼いたり煮たりと熱を加えたりすると、くたくたになってしまうから、多分に空気かなにか形のないものなのだろう。そのなにかが抜けたあとが吸収性に優れているらしく、煮びたしにするとぐいぐい旨味を吸い込んでくれる。
そんな、おいしいおいしい茄子の煮びたしの上に大根おろしと鰹節をこんもり乗せた、福田屋の冷やし茄子蕎麦が始まると、ああ夏が来たんだなあと思ったりするのよね。
この茄子をちびちびつまんで日本酒二合はいただけそうだけど、本日の目的は蕎麦なので、がしっとつまんでじゅるんと頬張る。口中に煮汁が広がる快楽を感じながら、矢継ぎ早に細く冷たいそばを手繰ると、舌から喉へとよきものが進んでいくのが分かる。
まだ、昼過ぎだけど、今日はいい一日だった。以上。
初なすび水の中より跳ね上がる
長谷川 櫂/『俳句発想法歳時記 夏』(草思社文庫)
2019年5月13日月曜日
若葉風ひとゆれで発つ小海線 土生重次
やわらかな風が、瑞々しい夏木の新葉を揺らしていく。そんな親密なふれあいのように、起動した電車はカクンと一揺れし、新緑の高原へとゆっくりと動きだしたのだ。
小海線は、小淵沢から小諸を結ぶ単線。遠い昔、小淵沢から甲斐大泉まで乗ったことがある。八ヶ岳のふもとに住む人を仕事の打ち合わせで訪ねたときのことだが、コトコトと山を登っていく電車が愛らしく思えた。
仕事が始まってからは、あちこち移動することから車を使うことになり、小海線はそれきりとなってしまったし、その仕事相手も若くして亡くなってしまったので、八ヶ岳もすっかり遠い地となってしまった。
それでも、仕事相手の人懐こそうな笑顔と、風に揺れる森のささやきをボクは覚えている。
若葉風ひとゆれで発つ小海線
土生重次/『俳句歳時記 第四版増補 夏』(角川ソフィア文庫)
小海線は、小淵沢から小諸を結ぶ単線。遠い昔、小淵沢から甲斐大泉まで乗ったことがある。八ヶ岳のふもとに住む人を仕事の打ち合わせで訪ねたときのことだが、コトコトと山を登っていく電車が愛らしく思えた。
仕事が始まってからは、あちこち移動することから車を使うことになり、小海線はそれきりとなってしまったし、その仕事相手も若くして亡くなってしまったので、八ヶ岳もすっかり遠い地となってしまった。
それでも、仕事相手の人懐こそうな笑顔と、風に揺れる森のささやきをボクは覚えている。
若葉風ひとゆれで発つ小海線
土生重次/『俳句歳時記 第四版増補 夏』(角川ソフィア文庫)
2019年5月1日水曜日
約束のないことがうれしい春の光 天坂寝覚
約束のないことがうれしい春の光 天坂寝覚
春の晴れた日になにをしようかとうきうきしているのか。いや、柔らかな日の光が、なにものにも束縛されることのないわが身を祝ってくれているように感じているのだ。
約束もなければ予定もない。今日だけのことではなく、当面しばらくなにもないのだろう。もしかしたら、仕事も辞めてしまったのかもしれない。世のしがらみとは3月31日をもっておさらば。新年度は晴れて自由の身なのだ。
どこへでも行けてどこまでも春 天坂寝覚
自由を謳歌するためには、どこかへ旅立たねばならない。そう、家にこもっていては普段と同じではないか。どこへでも行けることを証明するために、ここではないどこかへ行けと私の自由が命じている。
どこへ行こうとも、そこはきっと春の地なのだ。この春を謳歌せよと私の自由が命じているのだ。
元気に泣く子がいてずっと日向を向く電車 天坂寝覚
南へ行く電車であろうか。通勤ラッシュはすでに終わり、都心から離れていく電車は空いている。そんな気持ちの余裕からか、乗り合わせた赤子の泣き声も気にならない。むしろ、春日を浴びながら進む電車の中では、生命力の必然と聞こえるのだ。
作者には「ここにいては見えない海を見て暮らす」という句があるから、日々あこがれた海へと続く路線かもしれない。
傘置いて辞めていった 天坂寝覚
電車に揺られながら、辞めた会社に傘を忘れたことを唐突に思い出したのだろう。かつて「新しい靴で辞めた」と詠んだ作者は、辞職にあたっては、なにかを残さないと気が済まないらしい。
多分、コンビニで買ったビニール傘。辞めたあいつの傘かとわかる人は少ない。いや、誰もわからなくていい。
菜の花すばらしく咲いてここは遠いところ 天坂寝覚
車窓からの風景か、電車から降りたった地か。いずれにしても、一面の菜の花が咲く様に、ここが目的地だったと強く思ったのだ。
ここではないどこか。時間でも距離でもなく、私が感じる遠いところへ私は来た。目的は達したのだ。
ぼうっと覚めて髪の長さ持て余している 天坂寝覚
乾かしてきた服抱いて熱いな 天坂寝覚
以下は後日談。起きるとはなしに目覚めれば、髪が伸びていることに気づいたり、コインランドリーで洗濯した服が乾燥機の余熱で火照っていることに新鮮な思いを巡らしている。当たり前のことも発見と思えるような瞬間がある。それも旅の効用かもしれないが、さらなる日常の連続は、その旅も現実の出来事ではなかったような気にさせてしまう。
さっきまでが夢とわかりきって眠る 天坂寝覚
いつまでもうすあかるい夜の誰かも咳をしている 天坂寝覚
ずいぶん遠いところまで行ったと思ったのに、それも夢だったのかもしれない。でも、そうだったとしてもがっかりしたりはしないのだ。すべては折り込み済みのこと。そう、日常は日常として続き、ふわふわとした夜へ煙草の煙のように消えていくのだ。
春の晴れた日になにをしようかとうきうきしているのか。いや、柔らかな日の光が、なにものにも束縛されることのないわが身を祝ってくれているように感じているのだ。
約束もなければ予定もない。今日だけのことではなく、当面しばらくなにもないのだろう。もしかしたら、仕事も辞めてしまったのかもしれない。世のしがらみとは3月31日をもっておさらば。新年度は晴れて自由の身なのだ。
どこへでも行けてどこまでも春 天坂寝覚
自由を謳歌するためには、どこかへ旅立たねばならない。そう、家にこもっていては普段と同じではないか。どこへでも行けることを証明するために、ここではないどこかへ行けと私の自由が命じている。
どこへ行こうとも、そこはきっと春の地なのだ。この春を謳歌せよと私の自由が命じているのだ。
元気に泣く子がいてずっと日向を向く電車 天坂寝覚
南へ行く電車であろうか。通勤ラッシュはすでに終わり、都心から離れていく電車は空いている。そんな気持ちの余裕からか、乗り合わせた赤子の泣き声も気にならない。むしろ、春日を浴びながら進む電車の中では、生命力の必然と聞こえるのだ。
作者には「ここにいては見えない海を見て暮らす」という句があるから、日々あこがれた海へと続く路線かもしれない。
傘置いて辞めていった 天坂寝覚
電車に揺られながら、辞めた会社に傘を忘れたことを唐突に思い出したのだろう。かつて「新しい靴で辞めた」と詠んだ作者は、辞職にあたっては、なにかを残さないと気が済まないらしい。
多分、コンビニで買ったビニール傘。辞めたあいつの傘かとわかる人は少ない。いや、誰もわからなくていい。
菜の花すばらしく咲いてここは遠いところ 天坂寝覚
車窓からの風景か、電車から降りたった地か。いずれにしても、一面の菜の花が咲く様に、ここが目的地だったと強く思ったのだ。
ここではないどこか。時間でも距離でもなく、私が感じる遠いところへ私は来た。目的は達したのだ。
ぼうっと覚めて髪の長さ持て余している 天坂寝覚
乾かしてきた服抱いて熱いな 天坂寝覚
以下は後日談。起きるとはなしに目覚めれば、髪が伸びていることに気づいたり、コインランドリーで洗濯した服が乾燥機の余熱で火照っていることに新鮮な思いを巡らしている。当たり前のことも発見と思えるような瞬間がある。それも旅の効用かもしれないが、さらなる日常の連続は、その旅も現実の出来事ではなかったような気にさせてしまう。
さっきまでが夢とわかりきって眠る 天坂寝覚
いつまでもうすあかるい夜の誰かも咳をしている 天坂寝覚
ずいぶん遠いところまで行ったと思ったのに、それも夢だったのかもしれない。でも、そうだったとしてもがっかりしたりはしないのだ。すべては折り込み済みのこと。そう、日常は日常として続き、ふわふわとした夜へ煙草の煙のように消えていくのだ。
『ここは遠い』天坂寝覚
「解なし」(自由律俳句を作っている人(天坂寝覚)のブログ。)より
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ジャガーは病気もしないし、年齢もなく、亡くなることもないので心配しないでほしい。 JAGUAR所属事務所担当者
「令和3年、JAGUAR星人のJAGUARが、大好きな地球よりJAGUAR星に帰還いたしました」との所属事務所の発表を受けての千葉日報の取材に対する担当者のコメント。これでジャガーさんは永遠の存在となった。すごい。 千葉日報の記事は こちら
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春の夜にうつらうつらしていると余震で目覚めた。時刻を確認すると3時11分だった。 夜の時刻で素数に該当する数字はたくさんあるから、311に限定するのはおかしいという意見もあるだろう。もちろんそうだ。だから、あくまでもこれは個人的な感想にしかすぎないのだが、初めてこの句を読んだ...
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