春の夜にうつらうつらしていると余震で目覚めた。時刻を確認すると3時11分だった。
夜の時刻で素数に該当する数字はたくさんあるから、311に限定するのはおかしいという意見もあるだろう。もちろんそうだ。だから、あくまでもこれは個人的な感想にしかすぎないのだが、初めてこの句を読んだときから、この素数は東日本大震災が発生した3月11日を示す311だと思えてならなかったからだ。
というのも、311という数字が震災を象徴するものとして使われはじめてから、この数字のどこにでもある数字であるような印象の裏に、この数字でなければならないような独自性みたいなものがあるのではないか。普通だけどなんだか変な数字。その理由が素数であることに気づくにはそう時間はかからなかった。あ、自分自身以外では割り切れない数ね、と。そう、なにか必然的なものが311にはあるのだと感じていたのだ。
あらためて句にもどれば、該当する素数はあまたあるから、311に近い307や313でもいいはずだし、113、211、223でもいいだろう。でも、我々は、すでに311という数字を震災の象徴として与えられてしまっているのだから、これは付き過ぎだろうがベタであろうが、311以外はないのではないかと思ったのだ。
作者は「時刻は素数」となんらかの数字を見た。その数字はなにか?と問われているのであれば、ボクの答は「311」となる。
同じ素数でも、具体的な数字を想像させない句もある。二句ともに宮本佳代乃さんの句。宮本さんは素数が好きなのかな。
雨あがり素数のやうな夏の森 宮本佳代乃/『鳥飛ぶ仕組み』(現代俳句協会)
素数から冬の書店に辿りつく 宮本佳代乃/『三〇一号室』(港の人)
春の夜の時刻は素数余震に覚め
榮 猿丸/『点滅』(ふらんす堂)
2020年3月11日水曜日
2020年3月9日月曜日
美しい街 尾形亀之助
美しい街とはなにの隠喩なのか。
それとも、本当の街なのか。
そんなことはどちらでもよくて、
この美しい街で少しでも長く高揚した気分でいたいのだ。
それは束の間こと。だからこそなおさら。
美しい街
街よ
私はお前が好きなのだ
お前と口ひとつきかなかったようなもの足りなさを感じて帰るのは実にいやなのだ
妙に街に居にくくなっていそいで電車に飛び乗るようなことは堪えられなくさびしい
街よ
私はお前の電燈の花が一つ欲しい
尾形亀之助/『美しい街』(夏葉社)
それとも、本当の街なのか。
そんなことはどちらでもよくて、
この美しい街で少しでも長く高揚した気分でいたいのだ。
それは束の間こと。だからこそなおさら。
美しい街
街よ
私はお前が好きなのだ
お前と口ひとつきかなかったようなもの足りなさを感じて帰るのは実にいやなのだ
妙に街に居にくくなっていそいで電車に飛び乗るようなことは堪えられなくさびしい
街よ
私はお前の電燈の花が一つ欲しい
尾形亀之助/『美しい街』(夏葉社)
2020年3月7日土曜日
自由と不自由はよく似ていて、ときどき私には区別がつかなくなる 江國香織
必ず探しだすといって消えた恋人に見つけだしてもらうために、いくつもの町をさすらう母と娘の物語。「あたしのママはかわっている。大学をでてすぐ結婚したけれど、あたしのパパと出会って、『骨ごと溶けるような恋』をして、あたしを産んだ」。その恋を続ける代償のため、「あのひとのいない場所になじまないように」引越しを繰り返す。自由に生き続けるためには、呪いの魔法のような制約を受け入れるしかなかった母の姿は、究極の恋愛というロールプレイングゲームの主人公のように、ボクには思える。待ち続けるから続く恋。呪いの魔法がとけたとき、その恋というゲームも終わりを告げるわけなのだが、さて、それは幸せな結末なのだろうか?
不自由。私はときどきそれについて考える。子供のころから自由ばかり求めていた。求めるというより、それは私にとって食事や睡眠のように必要なものだった。自由を求めてけんかをした。自由を求めて家出をした。でも、自由と不自由はよく似ていて、ときどき私には区別がつかなくなる。
江國香織/『神様のボート』(新潮文庫)
不自由。私はときどきそれについて考える。子供のころから自由ばかり求めていた。求めるというより、それは私にとって食事や睡眠のように必要なものだった。自由を求めてけんかをした。自由を求めて家出をした。でも、自由と不自由はよく似ていて、ときどき私には区別がつかなくなる。
江國香織/『神様のボート』(新潮文庫)
2020年3月5日木曜日
階段の踊り場に星が落ちてた みやはらたかお
twitterをぼんやり見ていると、ときにはっとするフレーズに出会うことがある。
これは、自由律俳句をつくる友達がリツーイトしていたもの。彼女はこれを自由律俳句的ななにかと感じたのだろう。
実際のツイートは、鉄板だかコンクリートだかの溝に星型のシールのようなものが映っている写真がメインで、ネームは写真のタイトルもしくはキャプション的な扱いに思われるが、事実をそのまま記したのであろうそのネームだけのほうが、なにやら詩的なもののように思えてくる。原作者の意図はどうか知らないけれど、表現が独り歩きするおもしろさというものもあるのだと思う。
元ツイートはこちら。
みやはらたかお氏は、アートディレクターでありフォトグラファーとのこと。
踊り場の星をはじめとした日々更新される写真が美しい。
こうして未知のだれかに出会うのはちょっとした幸せか。
これは、自由律俳句をつくる友達がリツーイトしていたもの。彼女はこれを自由律俳句的ななにかと感じたのだろう。
実際のツイートは、鉄板だかコンクリートだかの溝に星型のシールのようなものが映っている写真がメインで、ネームは写真のタイトルもしくはキャプション的な扱いに思われるが、事実をそのまま記したのであろうそのネームだけのほうが、なにやら詩的なもののように思えてくる。原作者の意図はどうか知らないけれど、表現が独り歩きするおもしろさというものもあるのだと思う。
元ツイートはこちら。
みやはらたかお氏は、アートディレクターでありフォトグラファーとのこと。
踊り場の星をはじめとした日々更新される写真が美しい。
こうして未知のだれかに出会うのはちょっとした幸せか。
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