2021年10月5日火曜日

ジャガーは病気もしないし、年齢もなく、亡くなることもないので心配しないでほしい。 JAGUAR所属事務所担当者

 「令和3年、JAGUAR星人のJAGUARが、大好きな地球よりJAGUAR星に帰還いたしました」との所属事務所の発表を受けての千葉日報の取材に対する担当者のコメント。これでジャガーさんは永遠の存在となった。すごい。

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2021年9月25日土曜日

僕はマーブル 鋼鉄の国からやって来た ひびわれた雲の修理もできる  かしぶち哲郎

 『青空百景』は初めて求めたMOONRIDERSのアルバム。おじさんたちの歌声がかっこ悪くてカッコよかった。ひびわれた雲を修理ができるといいなと思った三十年以上前のボクは何もできない学生だった。
 ジョギング中に骨伝導イヤフォンを通してこの曲を聴いた。目線を足元から上に上げると、修理のしがいのある雲がたくさん浮かんでいた。雨が降る前に帰らねばと思いつつ、一度走り始めてしまうと、止まるのが惜しくなってしまうのだ。

moonriders 二十世紀鋼鉄の男 【LIVE.1998】

2021年9月24日金曜日

永遠の誤植として青空のわたくし  石原とつき

 あ、ボクのことだと思った。そして、誤りとして晒されているとしても、明るくご飯を食べようとも思った。なんといっても青空だし。青空ってバカっぽくていいよね。

初出はこちらです。

2021年7月20日火曜日

余計なものを削ぎ落としたほうがわたしたちの本分に集中できるからです  平井久美子

 盛岡で長く続く飲食店店主の独白集。平井久美子さん、小田原良二さんのふたりによる店「くふや」名義の 冊子だが、小田原さんの言葉はなく、平井さんによって「わたくしたち」という主語をもって、店の成り立ち、店を続けていくにあたっての姿勢や考えが語られていく。

 音楽のかからない店内、簡素なメニュー、数をしぼった客席など、くふやの成り立ちにはそれぞれにきちんとした理由がある。淡々とした口調で紡がれる言葉は、「くうもの」を提供する商売を続けていく上での、それによって生計を立てる上での、ひいては生きる上での覚悟といってもよい。

 B5版60ページ弱の冊子の本体価格は2000円。仕様からすると法外な価格だが、くふやの料理に魅せられた人であれば高くはないだろう。本も食い物もお客を選ぶことがあってもちろんよいのだから。

なぜくふやという店名にしたかと申しますと、たべるところだからです。飲むところはのみや、くうところはくふや。ね、シンプルでございましょう。わたしたちは店を続けていくのに、料理をこしらえるのに、かんたんな、楽なことばかり考えています。余計なものを削ぎ落としたほうがわたしたちの本分に集中できるからです。
『くふや くわず』(くふや)/企画・構成・編集:早坂大輔(BOOKNERD)



2020年5月11日月曜日

蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと   門脇篤史 

 毎日新聞の「歌壇・俳壇」の川野里子さんのエッセイで紹介されていた一首。
 蟹缶を一人で食べるのであろう。缶の汁を「海」と詠んだところが手柄だが、蟹缶を宝物のように大切にあつかう様子に思わず微笑んでしまう。
 そういえば、蟹缶を買ったことがない。確かに高いんだろうけど、どのくらいのものなのかと検索してみると、「タラバ蟹缶(脚肉)120g」なるもので、一缶価格3240円というのがヒットした。なるほど、これは宝物ですね。
 商品紹介として「缶詰ならではのつけ汁も、スープなどに利用できて便利」なる売り文句もあったが、この歌ではきっとつつっと啜るんでしょうね。海と一体になるひとときか。

蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと
門脇篤史/『歌集 微風域』(現代短歌社)

2020年5月10日日曜日

日射しにはもう瑞々しい初夏の匂いがした   村上春樹

 日射しに匂いなどあるわけがないのに、この季節をきちんと表す端正な文章に続くと、なるほどそうかもと頷いてしまったりする。
 この美しい季節との出会いの後、主人公は、どこかへ向かう彼女に付いて延々と歩くことになる。四ツ谷、市ヶ谷、飯田橋、神保町、お茶ノ水、本郷、そして駒込へと。
 四ツ谷から飯田橋へ続く堀沿いの土手は、確か外壕公園と呼ばれる遊歩道で、桜の名所だったはず。昔々、何度か花見をしたことがあったが、葉桜の頃に訪ねたことはない。きっと木漏れ日が美しいだろう。

 僕と彼女は四ツ谷駅で電車を降りて、線路わきの土手を市ヶ谷の方向に歩いていた。五月の日曜日の午後だった。朝方降った雨も昼にはあがり、低くたれこめていた鬱陶しい灰色の雲は、南からの風に追われるようにどこかへ消えていた。くっきりとした緑の桜の葉が風に揺れて光っていた。日射しにはもう瑞々しい初夏の匂いがあった。

村上春樹/「螢」〜『螢・納屋を焼く・その他の短編』(新潮文庫)

2020年3月11日水曜日

春の夜の時刻は素数余震に覚め   榮 猿丸

春の夜にうつらうつらしていると余震で目覚めた。時刻を確認すると3時11分だった。

夜の時刻で素数に該当する数字はたくさんあるから、311に限定するのはおかしいという意見もあるだろう。もちろんそうだ。だから、あくまでもこれは個人的な感想にしかすぎないのだが、初めてこの句を読んだときから、この素数は東日本大震災が発生した3月11日を示す311だと思えてならなかったからだ。
というのも、311という数字が震災を象徴するものとして使われはじめてから、この数字のどこにでもある数字であるような印象の裏に、この数字でなければならないような独自性みたいなものがあるのではないか。普通だけどなんだか変な数字。その理由が素数であることに気づくにはそう時間はかからなかった。あ、自分自身以外では割り切れない数ね、と。そう、なにか必然的なものが311にはあるのだと感じていたのだ。
あらためて句にもどれば、該当する素数はあまたあるから、311に近い307や313でもいいはずだし、113、211、223でもいいだろう。でも、我々は、すでに311という数字を震災の象徴として与えられてしまっているのだから、これは付き過ぎだろうがベタであろうが、311以外はないのではないかと思ったのだ。
作者は「時刻は素数」となんらかの数字を見た。その数字はなにか?と問われているのであれば、ボクの答は「311」となる。

同じ素数でも、具体的な数字を想像させない句もある。二句ともに宮本佳代乃さんの句。宮本さんは素数が好きなのかな。

雨あがり素数のやうな夏の森   宮本佳代乃/『鳥飛ぶ仕組み』(現代俳句協会)

素数から冬の書店に辿りつく   宮本佳代乃/『三〇一号室』(港の人)


春の夜の時刻は素数余震に覚め
榮 猿丸/『点滅』(ふらんす堂)

ジャガーは病気もしないし、年齢もなく、亡くなることもないので心配しないでほしい。 JAGUAR所属事務所担当者

  「令和3年、JAGUAR星人のJAGUARが、大好きな地球よりJAGUAR星に帰還いたしました」との所属事務所の発表を受けての千葉日報の取材に対する担当者のコメント。これでジャガーさんは永遠の存在となった。すごい。 千葉日報の記事は こちら